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5代は続いているのですが、それ以前は確認できません

農家としては、現農園代表が5代目にあたります。

それ以前は、確認が出来るものがありません。探せば出てくるかも・・・
100年強前までは曾祖父の作業日誌があり、その頃にはびわの栽培に関する記述があります。(特に大事に保管されていたわけではないようなので、ネズミの巣になってる日誌が多いです。。。)

およそ150年前〜100年前

この頃には、すでに大規模農家だったらしく
米、芋、麦などを中心に栽培していたようです。
時津の左底郷一帯は農家が98%。
米一俵で今の20万位の価値があったそうで、
お祝いごとには米一俵プレゼントしたそうです。
びわは1反ほどでしたが、長崎にビワが伝わった時期から栽培していたようです。
曾祖父の父 末田杅平

およそ100〜50年前
米中心に栽培
芋を芋飴にし、1日に10万くらいの売り上げがあった
ようです。初代時津町議会長でした。
現存する左底にある1反ほどの貯め池を作り、水を
確保していたそうです。(農地改革後、町のものになる)


曾祖父 末田末次郎 

明治30年の作業日誌、出勤簿働いていた人は20人くらい。ビワの袋張りと書いてあります。よく休んでる人がいます。

〜およそ50年前

祖父    末田長次郎

この頃になると、びわの栽培も本格化してきました。
昔は今のように箱で売られておらず、竹かごにいれて売られていました。
車も高級品でしたので、収穫したびわを6kgづつ竹かごにいれ それを5段積み 背負い2kg先の営業所まで運んでいたそうです。
この頃には当園は6tくらいの収量があったようです。
戦後の農地改革10年後から、米の価格が落ちたため
だんだんびわや柑橘系にシフトしたようです。

〜3年前
父      末田末則     
びわ(11反)と柑橘(5反)中心に栽培。
25年前長崎大水害にて 自宅全壊。
この時、ほとんどの過去記録は無くなってしまいました。
25年前 ハウスビワ栽培開始。時津町では初。
この頃びわは今の倍以上の値段でした。
ハウス3反露地6反で白茂木や福原早生もあったそうです
町の道路拡張や住宅地になったことで3反ほど手放す。     
ハウスがめずらしかった事から、よくびわ泥棒にあったようです。
10年前涼風の栽培開始

現在
現責任者        末田守


2008年涼風の栽培面積拡大。柑橘類の価格下落により生産中止。
来年以降 新品種「15号」栽培開始予定。
直売所向けに少量多品目生産で野菜や果物を無農薬栽培開始。
エンドユーザーに直接商品を提供するため、ネット販売 予約店販売開始


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この改行が大事だったりする→
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